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徳島県鳴門市にゆかりの「賀川豊彦」を知ってほしいなあ

2023年07月13日
更新: 2025年12月09日
徳島県鳴門市にゆかりの「賀川豊彦」を知ってほしいなあ
6月24日 賀川豊彦学校の入学式でした。 本日より本格的に「賀川豊彦」について学びます。 投稿としては初めてなので、なぜこのような学校に入ったのか?からお話しすると・・・・ 1、元生協職員としては、生協の父と言われる@賀川豊彦について、職員必須の知識として通信教育でしっかり学習させられました。しかしそれはロッチデールから共同組合の原型ができたところがメイン。 もっと他にもいろんな記録があり学びたいと思いました。 2、鳴門市に「賀川豊彦記念館」があります。前職時代県外からお客さん(理事長など偉い人)が来られたときに案内したことがありますが、ろくろく説明できず少し悔しく思っていたこと。 3、POTZって互助のしくみと語っているけれど、原点に立ち帰り、どうあるべきか軸にどう「互助」を据えたら良いのか再考したかったこと。 様々な思いが交錯して、入学に至りました。 &nbsp; <h2>7月12日</h2> <h2>2校目:賀川豊彦記念館が鳴門に建設されるまでの背景と経緯</h2> 2002年3月21日の鳴門市賀川豊彦記念館完成まで実に30年近くの建設までの経緯があった。 生協時代、ドイツ村、賀川豊彦記念館を取材した広報誌“機関紙とくしま”(現あわてんぼう)作成など関わりを持っていたが、多くの人の関わりと寄付によって長い年月の末できたことを初めて知った。 寄付者は1万名以上(少額その他労力を含むと2万名以上が関わったと言われている)、1億円を集めた。行政からの条件で建設費折半(行政から1億円)。建設場所や、資金調達など様々な障壁を超えて実現。 展示物の中で注目したもの2点 <h3>子供は神の贈り物</h3> 平和教育こそ子供に <h3>宇宙の目的</h3> 宇宙には“力、生命、波長、変化、選択、法則、目的”があり調和した世界になっていることを色々な自然現象から説明している。 <h2>3校目 生い立ち</h2> 実に興味深い話が、江戸時代の徳島藩の運営と賀川家の祖先の立ち位置から賀川豊彦の血筋を紐解いた話。 江戸時代、淡路島は徳島藩領であったことは周知のことだと思うが、徳島藩の主要街道の南北道と淡路街道とが交錯する土地が東馬詰村であり、この地で組頭庄屋であったのが賀川家及びのちに養子に入る叔父の家が関わっていたことが実に興味深く感じられる。 家庭環境は、決して普通ではないのだが、恵まれていたのではないだろうか。 成長に即したキーワードでは 英語の勉強のために教会へ 次第にキリスト教の教えに惹かれる 同時に猛烈な読書家 住む家を失い 叔父に引き取られる 16歳で洗礼 おじ激怒 明治学院へ 学校図書館の本を読破 体が弱い 徹底して他の人に尽くす姿に触れる 神戸スラム街(社会の底辺)での生活 子供たちへの教育 無料の診療 アメリカ留学 協同組合を学ぶ 暴力的支配を一切否定 救貧から防貧 協同組合理論の指導者 友愛による経済こそが戦争をなくす (EUとして実現される) 戦争が起きる 広島へ原爆投下 世界平和を呼びかける講演(平和賞ノミネート) 71歳で亡くなる 友愛 互助 平和

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